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Author:けんいち
行きたくなる台湾旅行のブログを書いています。
お勧めのスポットから穴場のスポットまで、台湾の魅力を伝えます。

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*申し込みと使用体験談記事はこちら
http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-671.html


 今回は、台南の旧台南警察署です。台南の円環状の交差点がある湯徳章紀念公園周辺には、日本統治時代の建物が多く残っていますが、旧台南警察署も日本統治時代からの建物で、最近修復されてきれいになりました。戦後、引き続き、建物は警察署として使用されていましたが、今回、臺南市美術館1館となっています。

史跡名:旧台南警察署

住所:台南市中正区南門路37号

ホームページ:https://www.tnam.museum/

設計者:梅沢捨次郎
彼は「林百貨」の設計もしてます。

 *林百貨の記事はこちら
  http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-150.html 
  http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-94.html 

地図:





建物の場所は、湯徳章紀念公園から孔子廟方面の道を歩いていくと、嘉南農田水利会の建物が見えてきます。ちょうどその建物の正面が旧台南警察署になります。修復直後のため、黄土色の外壁が非常に美しいです。
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修復前の建物の写真です。(写真は臺南市中正区公所ホームページから)
修復前の外壁は赤色ですね。実は、日本統治時代も外壁は黄土色だったようですが、戦後、警察機関において識別を統一するために紅漆が上塗りされました。今回は、日本統治時代の本来の黄土色で修復されました。
10202001旧台南警察署
建物正面の看板は、臺南市美術館1館となっています。この看板ですがあまり目立ちませんが、目立たない故に建物の存在感を邪魔しませんね。
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こちらが建物の入り口になります。今は美術館となっていますので、中に入ることはできます。警察署だと入りずらいですが、美術館だと入りやすいですね
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最後に建物の後ろです。
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近辺には日本統治時代の建物が一杯残っています。旧台南警察署も忘れずに見てくださいね!!





 台湾の中でも台南の湯徳章紀念公園周辺には、歴史ある廟や日本統治時代の建物が多く残っています。今回は、見所いっぱいの円環周辺の建造物のひとつ旧台南合同庁舎を紹介したいと思います。

店名:旧台南合同庁舎


住所:台南市中西区中正路2之1號

直轄市定古蹟

建築物の歴史:
 一番高い中央の塔は、1930年(昭和5年)5月8日に昭和天皇の即位を記念して建設されました。塔は、6階建てで当時台南で一番高い建物であり、火事の早期発見のための見張り台として利用されてました。この中央の塔は、「火見楼」と呼ばれていました。
 その後、1933年(昭和13年)に塔の両側が増築されて合同庁舎となり、消防や警察などの機関が置かれるようになりました。 

*現在は、臺南市消防史料館となっています。

地図:













円環となっている湯徳章紀念公園周辺は日本統治時代の建物が多く残っていますが、円環の外側にある国立台湾文学館から見た旧台南合同庁舎がこちらです。こちらの建物は、2018年末まで修復作業が行われていました。
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建物の近くには、旧台南合同庁舎の説明文があります。中文の英文の表記になっています。
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こちらの説明文は、写真付きの建物の歴史です。昭和5年時点は中央の高い塔だけですが、昭和15年時点は中央の塔と両脇に建物があるのがわかります。
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こちらが修復後の中央の塔ですが、昭和15年時点の写真と比較しても、ほぼ同じ形状・外観で修復されていますね。
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こちらは、建物の入り口になります。入口も趣のある雰囲気ですね。
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円環周辺に来たら、旧台南合同庁舎も忘れずに見てくださいね。



 今回は、台南にある「烏山頭水庫(烏山頭ダム)」です。なぜ、台南にあるダムが日台を結ぶ聖地なのか??それは、日本統治時代にまで歴史を遡らなければなりません。
 台湾に興味のある日本人、そして台湾のことが大好きな日本人に知ってもらいたい事実です。なぜ、台湾が親日であるといわれることを・・・。そして、ほとんどの台湾人が知っていて、ほとんどの日本人が知らない「八田與一」という人物のことを・・・。




施設名:烏山頭水庫(烏山頭ダム)

住所:台南市官田區嘉南里68-2號

ホームページ:https://wusanto.magicnet.com.tw/

地図:


 歴史は遡ること1895年、台湾は、日本統治領となってしまいました。当時のこの地(嘉南平野)は、雨季には洪水、乾季には干ばつで水不足、そして海よりの地域は塩害といった被害に悩まされる不毛の地であった。
 この不毛の地を一大穀倉地帯と変える人物が、水利技師で「嘉南大圳の父」と呼ばれる「八田與一」である。彼は1886年、現在の石川県・金沢 市に生まれ、東京帝国大学工学部土木課を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職。
 1918年八田は嘉南平野を穀倉地帯に変えるために大規模な灌漑設備が必要であると提唱し、計画書をまとめ上げた。このプロジェクトは大規模であり、台湾総督府の予算の1/3の費用であった。1920年にダムの着工が開始され、ダムの完成までには10年を要したが、その間多くの困難があった。
 1922年には、山を掘削するトンネル工事の爆発事故によ り50人が亡くなり、100人以上が負傷しました。また、翌年の1923年には関東 大震災が起こり、その復興のためにダム建設予算の大幅な削減が行われ、作業員を3分 の1程度まで削減しなければならない状況となる。人選を任された與一は、有能な者 から退職させました。これは、有能な者ほどその能力から再就職が可能であるという理由からです。退職者一人一人を自室に呼び、涙ながらに話をしたと言われてい ます。また、解雇した作業員については自ら再就職先を探すとともに、工事が元の状態 に戻れば優先して再雇用することを約束し、実際そのように行いました。このことは今でも嘉南地域の人々に語り継が れています。
 1930年、烏山頭ダムは完成します。当時東洋一の規模であり、嘉南平野に張り巡らされた水路は、1万6000km(万里の長城の約6倍の長さ)にも及んだ。この水路は、今も現役で台南の大地に水を行き渡されています。
 ダムが完成した八田に再び、不幸が訪れます。 ダムが完成して12年後の1942年5月8日、フィリピンの感慨調査の任を受けた八田は輸送船で現地に向かう途中の五島列島沖でアメリカ潜水艦の攻撃で、命を落とす。享年56歳であった。
 詳しく八田與一のことがわかるYoutubeがありましたので、見てください!!
「日本の誇り 台湾の教科書に載っている日本人の物語 八田與一」

【20081212】世界を変える100人の日本人「台湾で愛された日本人~八田與一」/テレビ東京

 前置きが非常に長くなりましたが、実際に烏山頭ダムに行きましたので、お伝えしたいと思います。
 まずは、台鉄台南駅から隆田駅で下車します。こちらの駅は日本統治時代からある駅舎ですが、瓦屋根が非常に印象的ですね。
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駅舎を出ると、周辺はひっそりとしてます。タクシーが1台のみ停まっていました。
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外から見た駅舎です。
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駅前にある、駅周辺地図です。烏山頭ダムまでは、かなりの距離があります。駅前に停まっていたタクシーに乗って、烏山頭ダムまで行きます。ダムの中、そして、八田與一紀念公園まではお任せで行ってもらえます。
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隆田駅から烏山頭ダムまでの道中には、多くの用水路がありました。また途中でタクシーの運転手が車を止め、指差しました。「あれがダムの堤防であると」。遠くからでもダムの大きさが窺い知ることができます。
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烏山頭ダムについて、一番最初に来た場所は、こちらです。座った状態での八田與一像です。
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台座には「嘉南大圳設計者八田與一氏像」と書かれています。この場所で毎年八田氏の命日である5月8日に慰霊祭が盛大に実施されます。李登輝元総統、陳水扁元総統、馬英九元総統といった国のトップや頼清徳元台南市長も慰霊祭に参加されていました。台湾における八田與一の功績がよくわかります。
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八田與一像の背後には墓石もあります。ダムに歴史があるのと同様に、この銅像にも歴史があります。八田像はダムの完成を喜んだ地元の人々が感謝の気持ちを込めて製作し、烏山頭ダムのほとりに建立しました。その後、戦争末期不足する金属の供出が求められ、八田與一像もダムのほとりから消えてしまい、もうこの世に存在しないものと思われたが、1981年にこの世にないはずの八田像が突如出てきたのである。なぜ出てきたのか?戦争中に金属供出ので像がなくなるのが忍びなく思った地元の人が番子田駅(現隆田駅)の倉庫に隠しもっていたのだ。しかし、当時の台湾は日本統治時代の銅像を初めとしたものが撤去されていた時代であった。そのため、長らく地元の人々に隠されていたが、蒋経国総統時代になり、元のダムのほとりへと戻されたのである。
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像の背後にある墓石には、「八田與一、外代樹之の墓」と書かれています。夫婦の墓石になります。外代樹夫人の生涯は後ほど語りたいと思います。
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八田與一像の目線からは、彼が心底熱意を注いだ烏山頭ダムが見えます。
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次に運転手に案内されたのが「旧放水口」です。
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この場所にも悲劇がありました。すでに八田與一は、1942年フィリピンに向かう途中にこの世を去ったことは述べましたが、その妻の外代樹は、1945年9月1日に夫が心血を注いだこの場所で身を投げ後を追いました。この日は、ダム起工の25周年に当たる日でした。與一を亡くし、戦争に負けた後、どういう心情だったのでしょうか?? 彼女は、享年45歳でした。
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また日本統治時代の台湾・嘉義農林の甲子園出場を描いた台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」に八田與一役で出演した大沢たかおが登場する場面で撮影されたのがこの場所でもあります。
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次の場所に向かう途中、大きな堤防が見えてきました。
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この通りには、桜の木があります。季節になると桜が咲き誇るのでしょうね。
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次に来たのは、虹のつり橋という場所です。1930年完成。長さ79m、幅2.3m、荷重制限は大人10名です。森の管理者、嘉南村民、大崎村民の主な通路として利用されました。
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オレンジが非常に印象的ですね。
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橋幅は、かなり狭いですね。
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この橋は、余水吐から放出される水路の上にかかっています。
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こちらが、余水吐です。長さ636m、入口の幅124m、出入口幅18m、海抜58.18mの高さに60個の放水穴があり、最大勾配6分の1、最大放水量は1秒間に1,500㎥で水位が58.18mを超えると自然に官田渓に流れ込むようになってます。実際に見ると、大きさに驚きです。大正時代に人力で作ったのは信じられないですね。
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動画でも撮ってみたので、見てください。大きさがよくわかります。

そして、こちらがダムです。かなり大きいのと、ダム湖に島があります。上空からは緑色の珊瑚のように見えるため、珊瑚湖という別名もあります。もちろん八田ダムと呼ばれることもあります。
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これで烏山頭ダムは終わりになります。次にまたタクシーに乗って、八田與一記念公園に向かいます。

施設名:八田與一紀念園區

住所:台南市官田區嘉南里66號

ホームページ:

地図:

こちらが、「八田與一紀念園區」の入り口になります。烏山頭ダムの工事中に建築された宿舎を再現した建物群です。
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この入口でタクシーの運転手が指を差しました。その方向を見ると標識に八田路と書いてあります。そうなんです。この通りは、八田與一にちなんだ通り名になっているのです。しかも読み方はHatta Rd.と日本語読みです。
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園區に入り、しばらく歩くと、日本式建物が並んでます。
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こちらは、田中及び市川宅です。家の中に入ることが出来ますので、行ってみましょう!!
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家の中は、畳敷きで和風です。
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動画でも家の雰囲気がどのような感じが撮ってみました。

次に、八田與一邸に行ってみましょう。まずは、修復前の写真からです。修復前は、建物の基礎の部分しか残っていませんね。
八田與一修復
庭には、銅像があります。外代樹夫人と4女の嘉子さんです。
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八田與一邸は中に入れませんでしたので、外からの外観のみです。
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さらに庭に行ってみましょう!!庭には池があります。
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よく見ると、行けの形は台湾本島の形です。八田與一の台湾に対する気持ちがわかりますね。
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他にも阿部邸、赤堀邸もありますが、基本的には八田邸と同じ構造です。修復前の写真です。
烏山頭修復1
烏山頭修復2
八田與一紀念園區を後に、最後の場所に行きます。
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最後は、戀占石という場所です。
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地面には、烏山頭ダムの歴史が年代別に刻まれています。
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この場所は、烏山頭ダムの水を嘉南平野に行き渡せるスタート地点になります。
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烏山頭ダムの水が細かい水路を通って、嘉南平野の田んぼ、畑に水を行き渡せるのです。
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 これで烏山頭ダムの訪問は終了になりますが、台湾で八田與一が大事にされている理由がわかったような気がします。烏山頭水庫という偉大な事業を成し遂げたということもありますが、それ以上に人間性にも優れていたのだと思います。今の日本人にはいない日本人だったのだったのでしょう。そして、台南の人の八田與一に対する心のすばらしさ。
 ぜひ、日本人もこの地を訪れてほしいですし、八田與一のことを知ってほしいですね。







 台南は、日本統治時代の建物や廟が多く、見どころがたくさんあります。特に林百貨周辺には多いです。今回は、日本統治時代の建物「鶯料理」です。鶯料理は、神戸出身の実業家である天野久吉が1923年(大正12)年に創業させました。
 当時は、高級料理店として、台南の裏の意思決定の中心と呼ばれた場所でした。また昭和天皇が皇太子時代に台南視察で知事官邸に宿泊した際には指名されて食事を提供された歴史のある料亭でした。
 戦後、台風などで建物は荒廃。市は2012年に修復に着手し、2013年に中棟と裏棟の一般公開を開始した。2017年に台風で全壊した表棟を復元する工事が行われ、2018年初めに竣工しました。

施設名:鶯料理

住所:台南市中西區忠義路二段84巷18號

創業者:天野久吉

記念性之建築
 *寺廟以外の建物で、記念する価値を持つ文化財として台南市で初めて指定。

敷地面積:庭園70坪、建物面積130坪余りの約200坪

建物配置と構造:表棟、中棟、裏棟の3棟、和風木造建築。屋根の主要部分は、いぶし瓦葺き。

地図:


 鶯料理の場所は、湯徳章紀念公園の近く、公園路から元台南測候所があるの細い通りでの忠義路二段84巷にあります。ちょうどこの辺りは、日本統治時代の建物や廟が多い場所です。
 まずは、鶯料理の玄関口である迎賓門からです。瓦屋根が日本ぽいですね。
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 日本統治時代の写真(台南市政府文化局 公報参照)。当時の門とほとんど変わらないですね。
鶯料理
門の壁には、「原鶯料理屋」という看板があります。
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中に入ると正面に表棟があります。以前来たときはなかったのですが、今回復元された形です。白色のライトアップが非常にきれいです。
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まずは、庭園を見ていきましょう。元台南測候所方面の写真です。
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庭園には、日本式らしく池があります。池の中には、鯉が泳いでいました。
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そして大きな木があります。s_DSC01644鶯料理
次に表棟の2階に登ってみます。階段は、裏側にあります。
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2階の内部を覗いてみましょう!!床は板張りで、床の間があります。
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床の間。こちらには花瓶に花が飾ってあります。
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表棟の2階から庭園、他の建物を見てみましょう。
まずは、門の方面。庭園の池の配置がよくわかります。
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次に、中棟、裏棟方面です。遠くに提灯が灯っていますが、これは近くに首廟天壇天公廟があるためです。忠義路二段84巷の通りには、提灯がずらーと並んでいます。
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次に中棟、裏棟を見てみましょう。
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建物の前には、昔懐かしの手動式の水道ポンプがあります。
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外から見た中棟、裏棟。
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鶯料理は、夜に行くと非常に綺麗ですので、お勧めですよ!!







 台南は、廟、清時代及び日本統治時代の建造物が、大事に残されており、歴史を感じる都市です。そんな雰囲気の中で、新しく洋風の建物があります。奇美博物館という建物です。この博物館は、「許文龍氏」によって創建されました。


許文龍氏とは?
一代で、ABSというプラスチック材料を世界一の生産量を誇る企業に育て上げた人物です。彼は、日本統治時代の1928年に台南で生まれました。1959年に奇美実業を設立。2013年、旭日中綬章を受賞。

奇美博物館設立の背景
許文龍は幼いころ、台南州立教育博物館を頻繁に訪れ、そこへ通った思い出が忘れられないという理由で、私財250億円を投じて設立されました。彼の作った博物館は、芸術のみならず、博物館周りの自然豊かな公園は、市民の憩いとなってます。


施設名:奇美博物館

住所:台南市仁德区文華路二段66號

ホームページ(日本語):https://www.chimeimuseum.org/ml/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E/4

開館時間:9:30-17:30
       (水曜日、旧暦の大晦日及び旧正月一日休館)

入館料:一般料金 200元、•優待料金 150元(7-22歳の学生、65歳以上の方)

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地図:


博物館地図:
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今回は、台鉄保安駅から歩いてきました。徒歩で約10分弱です。駅から歩くと、博物館の裏側になります。交通量が多いので、気を付けてください。
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裏側駐車場から見た奇美博物館。行ったときには、ちょうど休館日であったため、車はなかったです。
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さて、敷地に入っていきます。印象的な建物が左方向に見えます。
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かなり敷地面積が広く、博物館の周りを歩くだけでも大変ですが、しばらく歩いていると、公園があります。ちょうどあひるの親子も散歩してました。近くに人工のような湖がありますので、あひるたちにとってもいい場所なんでしょうね。
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湖にも野鳥がいます。
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オブジェもあり、人間にとっても憩いの場所です。何組かの親子ずれのひともいました。
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もう少し歩くと、噴水が見えてきました。アポロン噴水広場になります。
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博物館正面の建物と噴水。
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博物館正面の建物オリンポス橋
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博物館入口。テセウスケンタロウスの戦いの像。ちょうどこの辺りが、高鐵台南駅からの無料バスで来たときの降り口になります。
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博物館の中の芸術品を見るのもよいですが博物館の周りをぶらーと散歩するのもかなりよいですよ。
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