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行きたくなる台湾旅行のブログを書いています。
お勧めのスポットから穴場のスポットまで、台湾の魅力を伝えます。

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 今回は、台南の南門公園にある日本統治時代に建設された旧台南放送局です。同じ公園内には、台湾府城 大南門もあります。
台湾府城 大南門の過去ブログは、こちらです。
http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry台湾府城 大南門


史跡名:旧台南放送局(現台南市南門電影書院)

住所:台南市中西區南門路38號

営業時間:10:00-12:30
       13:30-17:30
       月曜日休日

facebook:https://www.facebook.com/tainanfilmarchive/

地図:


歴史:
 1932年(昭和7年)にラジオ放送局として開業。台南放送局は、リスナーがラジオの免許を得て、台湾放送協会に月額の受信料を支払ってラジオを楽しむという仕組みでした。
 2001年に市の史跡に指定。
 2012年から南門映画書院として営業。
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旧台南放送局の場所は、南門路沿いの南門公園内にあります。南門公園内には、台湾府城大南門もあります。
s_DSC_0168台南放送局
こちらが、旧台南放送局の建物になります。現在は、台南市南門電影書院として活用されています。2階部右側の八角形の窓と左側の2階上部の丸窓が非常に特徴的です。屋根の部分は、瓦葺きになっています。
s_DSC_0167台南放送局
こちらが、日本統治時代の写真です。(写真は、Wikipedia参照)ほぼ建物の形状は同じですね。さすがに建物の前は、ずいぶん変わってますね。
臺南放送局wikipedia
それでは、建物の中に入ってみましょう。こちらが入り口になります。
s_IMG_5735台南放送局
中に入って左側に部屋があります。部屋に入って右側には、、古いコードや電線らしきものがあります。これは昔の史跡なのでしょうか?
s_IMG_5740台南放送局
こちらの部屋には、大きな映写機が2台展示してあります。
s_IMG_5739台南放送局
入って右側には、階段があります。今回は2階部分には上がらなかったですが、部屋がありそうです。
s_IMG_5738台南放送局
再度、外に出てみます。横から見た建物です。建物の後ろには、公園らしきものがあり、この時は、子供を連れた母親が多かったです。
s_IMG_5736台南放送局
南門公園内には、旧台南放送局、台湾府城大南門といった史跡があり、また緑の木々が多いですので、史跡と自然を楽しむことができます。旧台南放送局の建物の背後に座る場所もあります。









 今回は、神農老街近くにある西羅殿という廟です。恐らく、神農老街に行くときは夜になると思いますので、こちらの廟も夜ですと、重厚感のある光を味わえると思います。

廟名:南勢街西羅殿

住所:台南市中西區和平街90號

歴史:
 台湾首廟の名前を持つ廟は、五條港区域にあります。この地域は、五條港で最も最初に開発された地域になります。五條港とは、昔、五つの水路があったこに由来しています。現在は、水路が埋められていますが、昔の水路と雰囲気は、以下のようになります。
5條港昔地図
西羅殿 昔 雰囲気
廟の創建は1718年で、郭一族によって建てられました。広沢尊王が祀られています。
地図:

民権路三段、康楽街交差点には、西羅殿の入り口である門があります。夜に来ると街の薄暗さの中にある提灯・電光掲示板の光が非常に印象的です。こちらが廟の正面です。
s_IMG_5799西羅殿
門を超えて、康楽街を歩いてすぐの場所に廟があります。暗い通りの中に、廟の光が非常に印象的ですね。
s_IMG_5800西羅殿
さて、廟内部に入ってみましょう!!こちらが主神の部分になります。主神の上部には壽の文字があります。そしてその周りには、金色の小さな像がたくさんいます。
s_IMG_5801西羅殿
屋根の方をみると、吹き抜けになっています。また扁額がふたつあります。
s_IMG_5803西羅殿
主神の両隣の壁には、光に浮かび上がる龍が非常に印象的です。
s_IMG_5804西羅殿
s_IMG_5805西羅殿
重厚感のある光を味わってみてください!!






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*申し込みと使用体験談記事はこちら
http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-671.html


 今回は、台南の旧台南警察署です。台南の円環状の交差点がある湯徳章紀念公園周辺には、日本統治時代の建物が多く残っていますが、旧台南警察署も日本統治時代からの建物で、最近修復されてきれいになりました。戦後、引き続き、建物は警察署として使用されていましたが、今回、臺南市美術館1館となっています。

史跡名:旧台南警察署

住所:台南市中正区南門路37号

ホームページ:https://www.tnam.museum/

設計者:梅沢捨次郎
彼は「林百貨」の設計もしてます。

 *林百貨の記事はこちら
  http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-150.html 
  http://satsumabird551.blog.fc2.com/blog-entry-94.html 

地図:





建物の場所は、湯徳章紀念公園から孔子廟方面の道を歩いていくと、嘉南農田水利会の建物が見えてきます。ちょうどその建物の正面が旧台南警察署になります。修復直後のため、黄土色の外壁が非常に美しいです。
s_IMG_5466tainanpoloce.jpg
修復前の建物の写真です。(写真は臺南市中正区公所ホームページから)
修復前の外壁は赤色ですね。実は、日本統治時代も外壁は黄土色だったようですが、戦後、警察機関において識別を統一するために紅漆が上塗りされました。今回は、日本統治時代の本来の黄土色で修復されました。
10202001旧台南警察署
建物正面の看板は、臺南市美術館1館となっています。この看板ですがあまり目立ちませんが、目立たない故に建物の存在感を邪魔しませんね。
s_IMG_5467tainanpolice.jpg
こちらが建物の入り口になります。今は美術館となっていますので、中に入ることはできます。警察署だと入りずらいですが、美術館だと入りやすいですね
s_IMG_5469tainanpolice.jpg
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最後に建物の後ろです。
s_IMG_5471tainanpolice.jpg
近辺には日本統治時代の建物が一杯残っています。旧台南警察署も忘れずに見てくださいね!!





 台湾の中でも台南の湯徳章紀念公園周辺には、歴史ある廟や日本統治時代の建物が多く残っています。今回は、見所いっぱいの円環周辺の建造物のひとつ旧台南合同庁舎を紹介したいと思います。

店名:旧台南合同庁舎


住所:台南市中西区中正路2之1號

直轄市定古蹟

建築物の歴史:
 一番高い中央の塔は、1930年(昭和5年)5月8日に昭和天皇の即位を記念して建設されました。塔は、6階建てで当時台南で一番高い建物であり、火事の早期発見のための見張り台として利用されてました。この中央の塔は、「火見楼」と呼ばれていました。
 その後、1933年(昭和13年)に塔の両側が増築されて合同庁舎となり、消防や警察などの機関が置かれるようになりました。 

*現在は、臺南市消防史料館となっています。

地図:













円環となっている湯徳章紀念公園周辺は日本統治時代の建物が多く残っていますが、円環の外側にある国立台湾文学館から見た旧台南合同庁舎がこちらです。こちらの建物は、2018年末まで修復作業が行われていました。
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建物の近くには、旧台南合同庁舎の説明文があります。中文の英文の表記になっています。
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こちらの説明文は、写真付きの建物の歴史です。昭和5年時点は中央の高い塔だけですが、昭和15年時点は中央の塔と両脇に建物があるのがわかります。
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こちらが修復後の中央の塔ですが、昭和15年時点の写真と比較しても、ほぼ同じ形状・外観で修復されていますね。
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こちらは、建物の入り口になります。入口も趣のある雰囲気ですね。
s_IMG_5824fire.jpg
円環周辺に来たら、旧台南合同庁舎も忘れずに見てくださいね。



 今回は、台南にある「烏山頭水庫(烏山頭ダム)」です。なぜ、台南にあるダムが日台を結ぶ聖地なのか??それは、日本統治時代にまで歴史を遡らなければなりません。
 台湾に興味のある日本人、そして台湾のことが大好きな日本人に知ってもらいたい事実です。なぜ、台湾が親日であるといわれることを・・・。そして、ほとんどの台湾人が知っていて、ほとんどの日本人が知らない「八田與一」という人物のことを・・・。




施設名:烏山頭水庫(烏山頭ダム)

住所:台南市官田區嘉南里68-2號

ホームページ:https://wusanto.magicnet.com.tw/

地図:


 歴史は遡ること1895年、台湾は、日本統治領となってしまいました。当時のこの地(嘉南平野)は、雨季には洪水、乾季には干ばつで水不足、そして海よりの地域は塩害といった被害に悩まされる不毛の地であった。
 この不毛の地を一大穀倉地帯と変える人物が、水利技師で「嘉南大圳の父」と呼ばれる「八田與一」である。彼は1886年、現在の石川県・金沢 市に生まれ、東京帝国大学工学部土木課を卒業後、台湾総督府内務局土木課の技手として就職。
 1918年八田は嘉南平野を穀倉地帯に変えるために大規模な灌漑設備が必要であると提唱し、計画書をまとめ上げた。このプロジェクトは大規模であり、台湾総督府の予算の1/3の費用であった。1920年にダムの着工が開始され、ダムの完成までには10年を要したが、その間多くの困難があった。
 1922年には、山を掘削するトンネル工事の爆発事故によ り50人が亡くなり、100人以上が負傷しました。また、翌年の1923年には関東 大震災が起こり、その復興のためにダム建設予算の大幅な削減が行われ、作業員を3分 の1程度まで削減しなければならない状況となる。人選を任された與一は、有能な者 から退職させました。これは、有能な者ほどその能力から再就職が可能であるという理由からです。退職者一人一人を自室に呼び、涙ながらに話をしたと言われてい ます。また、解雇した作業員については自ら再就職先を探すとともに、工事が元の状態 に戻れば優先して再雇用することを約束し、実際そのように行いました。このことは今でも嘉南地域の人々に語り継が れています。
 1930年、烏山頭ダムは完成します。当時東洋一の規模であり、嘉南平野に張り巡らされた水路は、1万6000km(万里の長城の約6倍の長さ)にも及んだ。この水路は、今も現役で台南の大地に水を行き渡されています。
 ダムが完成した八田に再び、不幸が訪れます。 ダムが完成して12年後の1942年5月8日、フィリピンの感慨調査の任を受けた八田は輸送船で現地に向かう途中の五島列島沖でアメリカ潜水艦の攻撃で、命を落とす。享年56歳であった。
 詳しく八田與一のことがわかるYoutubeがありましたので、見てください!!
「日本の誇り 台湾の教科書に載っている日本人の物語 八田與一」

【20081212】世界を変える100人の日本人「台湾で愛された日本人~八田與一」/テレビ東京

 前置きが非常に長くなりましたが、実際に烏山頭ダムに行きましたので、お伝えしたいと思います。
 まずは、台鉄台南駅から隆田駅で下車します。こちらの駅は日本統治時代からある駅舎ですが、瓦屋根が非常に印象的ですね。
s_DSC01606烏山頭
駅舎を出ると、周辺はひっそりとしてます。タクシーが1台のみ停まっていました。
s_DSC01603烏山頭
外から見た駅舎です。
s_DSC01604烏山頭
駅前にある、駅周辺地図です。烏山頭ダムまでは、かなりの距離があります。駅前に停まっていたタクシーに乗って、烏山頭ダムまで行きます。ダムの中、そして、八田與一紀念公園まではお任せで行ってもらえます。
s_DSC01605烏山頭
隆田駅から烏山頭ダムまでの道中には、多くの用水路がありました。また途中でタクシーの運転手が車を止め、指差しました。「あれがダムの堤防であると」。遠くからでもダムの大きさが窺い知ることができます。
s_DSC01722烏山頭
烏山頭ダムについて、一番最初に来た場所は、こちらです。座った状態での八田與一像です。
s_DSC01729烏山頭ダム
台座には「嘉南大圳設計者八田與一氏像」と書かれています。この場所で毎年八田氏の命日である5月8日に慰霊祭が盛大に実施されます。李登輝元総統、陳水扁元総統、馬英九元総統といった国のトップや頼清徳元台南市長も慰霊祭に参加されていました。台湾における八田與一の功績がよくわかります。
s_DSC01727烏山頭ダム
八田與一像の背後には墓石もあります。ダムに歴史があるのと同様に、この銅像にも歴史があります。八田像はダムの完成を喜んだ地元の人々が感謝の気持ちを込めて製作し、烏山頭ダムのほとりに建立しました。その後、戦争末期不足する金属の供出が求められ、八田與一像もダムのほとりから消えてしまい、もうこの世に存在しないものと思われたが、1981年にこの世にないはずの八田像が突如出てきたのである。なぜ出てきたのか?戦争中に金属供出ので像がなくなるのが忍びなく思った地元の人が番子田駅(現隆田駅)の倉庫に隠しもっていたのだ。しかし、当時の台湾は日本統治時代の銅像を初めとしたものが撤去されていた時代であった。そのため、長らく地元の人々に隠されていたが、蒋経国総統時代になり、元のダムのほとりへと戻されたのである。
s_DSC01724烏山頭ダム
像の背後にある墓石には、「八田與一、外代樹之の墓」と書かれています。夫婦の墓石になります。外代樹夫人の生涯は後ほど語りたいと思います。
s_DSC01725烏山頭ダム
八田與一像の目線からは、彼が心底熱意を注いだ烏山頭ダムが見えます。
s_DSC01728烏山頭
次に運転手に案内されたのが「旧放水口」です。
s_DSC01735烏山頭
この場所にも悲劇がありました。すでに八田與一は、1942年フィリピンに向かう途中にこの世を去ったことは述べましたが、その妻の外代樹は、1945年9月1日に夫が心血を注いだこの場所で身を投げ後を追いました。この日は、ダム起工の25周年に当たる日でした。與一を亡くし、戦争に負けた後、どういう心情だったのでしょうか?? 彼女は、享年45歳でした。
烏山頭s_DSC01736
また日本統治時代の台湾・嘉義農林の甲子園出場を描いた台湾映画「KANO 1931海の向こうの甲子園」に八田與一役で出演した大沢たかおが登場する場面で撮影されたのがこの場所でもあります。
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次の場所に向かう途中、大きな堤防が見えてきました。
s_DSC01742烏山頭
この通りには、桜の木があります。季節になると桜が咲き誇るのでしょうね。
s_DSC01743烏山頭
次に来たのは、虹のつり橋という場所です。1930年完成。長さ79m、幅2.3m、荷重制限は大人10名です。森の管理者、嘉南村民、大崎村民の主な通路として利用されました。
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オレンジが非常に印象的ですね。
s_DSC01745烏山頭
橋幅は、かなり狭いですね。
s_DSC01748烏山頭
この橋は、余水吐から放出される水路の上にかかっています。
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こちらが、余水吐です。長さ636m、入口の幅124m、出入口幅18m、海抜58.18mの高さに60個の放水穴があり、最大勾配6分の1、最大放水量は1秒間に1,500㎥で水位が58.18mを超えると自然に官田渓に流れ込むようになってます。実際に見ると、大きさに驚きです。大正時代に人力で作ったのは信じられないですね。
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動画でも撮ってみたので、見てください。大きさがよくわかります。

そして、こちらがダムです。かなり大きいのと、ダム湖に島があります。上空からは緑色の珊瑚のように見えるため、珊瑚湖という別名もあります。もちろん八田ダムと呼ばれることもあります。
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これで烏山頭ダムは終わりになります。次にまたタクシーに乗って、八田與一記念公園に向かいます。

施設名:八田與一紀念園區

住所:台南市官田區嘉南里66號

ホームページ:

地図:

こちらが、「八田與一紀念園區」の入り口になります。烏山頭ダムの工事中に建築された宿舎を再現した建物群です。
s_DSC01767烏山頭
この入口でタクシーの運転手が指を差しました。その方向を見ると標識に八田路と書いてあります。そうなんです。この通りは、八田與一にちなんだ通り名になっているのです。しかも読み方はHatta Rd.と日本語読みです。
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園區に入り、しばらく歩くと、日本式建物が並んでます。
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こちらは、田中及び市川宅です。家の中に入ることが出来ますので、行ってみましょう!!
s_DSC01770烏山頭
s_DSC01771烏山頭
家の中は、畳敷きで和風です。
s_DSC01775烏山頭
動画でも家の雰囲気がどのような感じが撮ってみました。

次に、八田與一邸に行ってみましょう。まずは、修復前の写真からです。修復前は、建物の基礎の部分しか残っていませんね。
八田與一修復
庭には、銅像があります。外代樹夫人と4女の嘉子さんです。
s_DSC01779烏山頭
八田與一邸は中に入れませんでしたので、外からの外観のみです。
s_DSC01778烏山頭
s_DSC01781烏山頭
さらに庭に行ってみましょう!!庭には池があります。
s_DSC01788烏山頭
よく見ると、行けの形は台湾本島の形です。八田與一の台湾に対する気持ちがわかりますね。
s_DSC01789烏山頭
他にも阿部邸、赤堀邸もありますが、基本的には八田邸と同じ構造です。修復前の写真です。
烏山頭修復1
烏山頭修復2
八田與一紀念園區を後に、最後の場所に行きます。
s_DSC01791烏山頭
s_DSC01784烏山頭

最後は、戀占石という場所です。
s_DSC01801烏山頭
地面には、烏山頭ダムの歴史が年代別に刻まれています。
s_DSC01796烏山頭
この場所は、烏山頭ダムの水を嘉南平野に行き渡せるスタート地点になります。
s_DSC01792烏山頭
s_DSC01794烏山頭
烏山頭ダムの水が細かい水路を通って、嘉南平野の田んぼ、畑に水を行き渡せるのです。
s_DSC01802烏山頭
 これで烏山頭ダムの訪問は終了になりますが、台湾で八田與一が大事にされている理由がわかったような気がします。烏山頭水庫という偉大な事業を成し遂げたということもありますが、それ以上に人間性にも優れていたのだと思います。今の日本人にはいない日本人だったのだったのでしょう。そして、台南の人の八田與一に対する心のすばらしさ。
 ぜひ、日本人もこの地を訪れてほしいですし、八田與一のことを知ってほしいですね。



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